■ 2020 小さな旅 3 ■
2/15~17 京都 てくてく歩き
京都の町は道が碁盤の目のように交わり、道路や川以外の部分には隙間がないほど整然と住宅が立ち並んでいる。自然の色は少ないが、その分、糺の森などの鎮守の森や京都御所の樹木の緑が目立つ。町全体が古くから守られて歴史を重ねてきたからこそ、神聖な森の威厳が保たれたのだろう。なんか緑が気高く感じられた。
★行き
仙台空港 7:35 ⇒ANA⇒伊丹空港9:00
伊丹空港9:20 ⇒高速バス ⇒京都駅10:10
★帰り
京都駅15:10 ⇒高速バス ⇒伊丹空港16:05
伊丹空港17:10 ⇒ANA⇒ 仙台空港 18:20
全国のマラソンに出かけている娘と一緒に京都マラソンの応援を兼ねて「京都てくてく歩き」を楽しんできました。
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2020京都マラソン
あいにく朝から雨が降り出し小雨の中、約16,000人が参加し、都大路を駆け抜けた京都マラソン。たけびしスタジアム京都(西京極総合運動公園内)をスタートし、平安神宮前にフィニッシュするコース。7つの世界文化遺産付近を巡り、「送り火」で知られる五山を眺望できるなど、山紫水明の都である京都の魅力を堪能できるコースで、娘が4時間弱で京都の街並みを駆け抜けました。ノーベル賞の京都大学山中教授(IPS細胞)も参加し、3時間22分台とタイムも早いですね。とても見どころの多く、わくわくするような楽しい京都マラソンでした。
●魅力1. 京都らしさを満喫
コース周辺には、天龍寺、仁和寺、龍安寺、金閣寺、上賀茂神社、下鴨神社、銀閣寺の7つの世界文化遺産が存在します。また、梅宮大社、松尾大社、清凉寺、大覚寺、平野神社、わら天神、大徳寺、今宮神社、平安神宮など数多くの観光名所にも出会えます。
●魅力2. 山紫水明の地・京都
嵐山・渡月橋を眺めながら桂川沿いを走り、その後、嵯峨野・広沢池を通過。平安の昔より景勝地として栄えたきぬかけの路で自然を感じ、京都府立植物園内や京都のシンボル鴨川沿い、さらには京都御苑の豊かな緑と歴史にふれながら走ります。送り火の五山(鳥居形、左大文字、船形、妙法、大文字)を全て眺望することができるのも京都マラソンならではの醍醐味です。
●魅力3. 応援がアツい! ~大学のまち・京都~
地元住民の方の他、10もの大学がコース沿道にあることから、たくさんの大学生がランナー・ボランティア・沿道盛り上げ隊として参加し、大会を活気づけてくれます。
●魅力4. ロードレースのまち・京都
駅伝発祥の地・京都。世界的なトップアスリートの登竜門ともなっている全国高校駅伝や皇后盃全国女子駅伝などと同じくたけびしスタジアム京都(西京極総合運動公園内)をスタートし、西大路通や東大路通、丸太町通等の都大路も走ります
京都観光マップ一覧
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2/15 京都おさんぽ1 (鴨川~銀閣寺~法然院~安楽寺~霊鑑寺~永観堂~南禅寺~祇園花小路~建仁寺)⇒ デイナー宗田(日本茶と手鞠鮨)
永観堂付近にある熊野若王子神社前の冷泉通若王子橋を南端として始まり、東山山麓の琵琶湖疏水に沿って銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋を北端として続く約1.5kmの散歩道。幅員は広くないが、沿道に多くの樹木が植わる。沿道の横には、熊野若王子神社から大豊神社参道までは琵琶湖疏水分線が山裾に沿って流れ、疏水の山側は自然の森となっており、対岸側に桜並木がある。春は桜、初夏は木々の緑、秋は紅葉と四季折々に景色が変化する自然の美しい区間で、京都で最も人気のある散歩道として訪れる人が多い所で、何か文学書に触れてみたくなりました。
銀閣寺
銀閣寺(ぎんかくじ)は金閣寺と並ぶ京都楼閣建築の代表寺院ですが、正式名称を慈照寺(じしょうじ)といいます。銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政で祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営しました。 東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されています。銀閣寺という名称は、近世の名所案内にも登場することから古くから使われている通称です。 銀閣寺を象徴する建物が銀閣と呼ばれる観音殿です。さらに、方丈の前庭にある白砂の砂盛り向月台(コウゲツダイ)と、波紋を表現した銀沙灘(ギンシャダン)も見所の一つです。 銀閣の前にある錦鏡池(きんきょうち)を中心に池泉回遊式庭園が広がっています。この庭園は1952年に特別史跡、特別名勝にも指定されている景勝地です。
哲学の道を歩む
南禅寺
南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)と称する。開山は無関普門(大明国師)。開基は亀山法皇。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。
祇園花見小路
2/16 京都おさんぽ2(平等院~伏見稲荷~東福寺~三十三間堂~平安神宮(マラソンFINISH) ⇒ デイナー 閉臥庵 精進料理
宇治平等院
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
伏見稲荷
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府京都市伏見区深草にある神社。旧称は稲荷神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。 全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。現存する旧社家は大西家。 祭神は以下の五柱。これらの神々は稲荷大神の広大な神徳の神名化とされている。
東福寺
東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにある。この地には延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺の巨大な伽藍があった。(法性寺は、JR・京阪東福寺駅近くに小寺院として存続している)嘉禎2年(1236年)、九条道家(摂政)は、この地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する大寺院を建立することを発願、寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とした。5丈の釈迦像を安置する仏殿の建設工事は延応元年(1239年)から始めて、完成したのは建長7年(1255年)であった。高さ5丈の本尊釈迦像は元応元年(1319年)の火災で焼失、14世紀半ば頃に再興されるが、1881年(明治14年)の火災で再び焼失している。なお、東福寺には巨大な「仏手」(現存部分の長さ2メートル)が保管されており、旧本尊像の左手部分のみが明治の火災の際に救い出されたものと推定されている[1]。これは創建時の本尊ではなく、14世紀に再興された本尊像の遺物であるが、本尊の「高さ5丈」というのはあながち誇張ではなかったことがわかる。
三十三間堂
この地には元々、後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、現在の三十三間堂である。上皇が眠る法住寺陵は三十三間堂の東隣にある。
上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備された。「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」(#構造)に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからである。
2/17 京都おさんぽ3(金閣寺~龍安寺~京都駅)
金閣寺
金閣寺(きんかくじ)と呼ばれていますが正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。金閣寺の歴史を振り返ると古くは鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経)(さいおんじきんつね)がこの地に西園寺を建立しました。 鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しました。邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので義満はここで政治の実権を握りました。 足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二次をとって鹿苑寺と名付けられました。 山荘北山殿造営応永4年(1397年) 足利義満(足利3代将軍)造営鹿苑寺創建足利義満の死後 開山 夢窓疎石文化財など絹本著色足利義満像、大書院障壁画(重要文化財) 庭園(特別史跡、特別名勝) 1994年世界遺産登録
龍安寺
「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。
京グルメ
2/15 手鞠鮨と日本茶「京都 宗田」
京都の「烏丸御池駅」「四条駅」「烏丸駅」からほど近く、「手鞠鮨と日本茶 宗田」は一杯ずつ丁寧に入れた味わい深いお茶と健康にも配慮したお寿司、逸品料理をお楽しみました。茶葉の品質はもちろん、淹れ方でも驚くほど味わいを変える日本茶をお楽しみください。当店では、水は日本茶と相性のよい軟水を鉄瓶で沸かしたものを使用。 器の温度にも配慮しながら、茶葉とお湯のバランスを考えて一杯ずつ心を込めて淹れており、そしてメインの手鞠鮨と抹茶白ワインの組み合わせはGOOD!!。
2/16 京普茶料理の精進料理(閑臥庵)
閑臥庵の京普茶料理は精進料理で、油を巧みに使うのが特徴で、薬膳料理と相通じるものがあり、材料からしても非常に健康的でこれを食し続けていた黄檗の高僧は、おしなべて長生きだったといわれています。元来、普茶席は、四人が一卓に対座し一器一椀から一品づつ、給仕なしでいただくものでありましたが、当庵はこの禅家の簡素な食礼に手を加え趣向をこらした上で後水尾法皇が好まれた三百年来の伝統の味を味わいました。
ブルーボトルコーヒー
2000年代前半、カリフォルニア州オークランド市で、フリーランスの音楽家でありコーヒーマニアでもあったジェームス・フリーマンは新鮮味が無くロースト具合が深すぎる一般的なコーヒーセレクションにうんざりし、新鮮で本来のコーヒーの味を求めている人々の為に自らコーヒー焙煎を始める決心をしました。小さな6ポンド(約2.7キロ)用の焙煎機を使い、彼は「焙煎したてのフレッシュなコーヒー豆だけをお客様に販売し、フレーバーが最も美味しいピーク期間に飲んでいただきたい。豆も最高品質で、最も美味しく責任をもって調達したものだけを提供する。」という歴史的な誓約を立ててスタートしました。ジェームスはコルシツキーの栄誉に敬意を払い自分の店を「ブルーボトルコーヒー」と名付け、この先続くコーヒーのダイナミックな歴史に新たな一章を刻みました。日本で8店舗目、関西エリア1店舗目のカフェとして京都カフェが2018年3月23日にオープンしました。築100年を超える伝統的な京町屋の風情溢れる空間を残しつつも、自然光が差し込む大きなガラス窓や高い吹き抜けなど、ブルーボトルコーヒーらしい開放感が溢れる空間にリノベートしました。南禅寺に続く参道からすぐの正面にはオリジナルアイテムを展示販売するショップスペースがあり、その奥には四季折々の表情が楽しめる中庭が広がります。
宿泊ホテル(誕生日祝いということで高級ホテルに泊まりましたが、娘の会社の保養所扱いで安く泊まれました!)
2/15宿泊(ソラリア西鉄・京都プレミア三条鴨川) ⇒夕食 宗田
ソラリア西鉄ホテル京都プレミア。三条鴨川は2017年4月のオープンです。京阪線の三条駅から徒歩2分です。大浴場を併設し、フロントデスクは24時間対応です。 お部屋からは鴨川を望めます。 ソラリア西鉄ホテル京都プレミア 三条鴨川では、駐車場、荷物預かり(滞在中は無料)、コンシェルジェサービスを利用でき、無料の新聞も提供しています。 ソラリア西鉄ホテル京都プレミア 三条鴨川は京都駅から電車で13分、サムライ剣舞から徒歩7分、清水寺から車で15分、京都国際マンガミュージアムまで地下鉄東西線で8分、京都御所まで車またはバスで12分、最寄りの空港の大阪国際空港まで車で約60分です。特にコンシェルジェサービスが充実しており、親切に対応してくれて快適な観光を楽しめました。
2/16宿泊(東急ハーベストクラブホテル)夕食⇒閉臥庵 精進料理
京都、鷹峯の麓「しょうざんリゾート京都」内に誕生した、会員制リゾートホテル「東急ハーヴェストクラブ京都鷹峯&VIALA」。 四季折々に表情を変える庭園や、涼やかな川のせせらぎ、石畳の小径など、滞在しながら京都ならではの風雅を堪能することができました。