■ 2018 小さな旅 5 ■
今回は小京都の面影が残る小さな城下町を散策!
●弘前城が静かに見守る城下町・弘前。古い洋館や教会が街に溶け込で、和洋折衷の独特の雰囲気が漂っておりました。
●城下町角館では武士の住んでいた町内名には「丁」が付き、商人町には「町」が付いおり地名に、数百年前の名残が残っています。
●上田では戦国ロマンが薫る真田氏の歴史ロマンの息吹が感じられる城下町でした。
●6/21 弘前(仙台⇒新青森⇒弘前)
●6/22 角館(弘前⇒鷹巣(秋田内陸鉄道)⇒角館)
●6/23 上田(角館⇒大宮⇒上田⇒(上田電鉄 別所線)別所温泉)
●6/24 東京・横浜⇒仙台
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6/21 こぎん刺しの津軽弘前をそぞろ歩く!
こぎん刺しのお店を訪ねて!(1/6)
弘前の思い出カタチに残そう 一針ひと針に想いをこめて,なぜか懐かしい気持ちになる、ひろさきの街。ぽつりぽつりと点在する教会や洋風建築をはじめ、至るところに津軽の伝統文化が息づいている。津軽のかっちゃ(お母さん)ガイドと楽しくおしゃべりしながら、中心商店街の土手町界隈に散らばるかわいいモノを探して行きついたのは、地元民ご用達の手芸店「しまや」。家内は夢中になりながらこぎん刺しの話をする。子供のようにはしゃぎながら買い物を楽しんでいる。人生最後の夢?を追いかけているようにも見える。そして、今度はさらに「弘前こぎん研究所」や「津軽工房社」を訪れる。その模様は一見難しそうですが。。。。こぎん刺しとは?「江戸時代、津軽の農民は木綿の衣料を着る事が許されませんでした。何を着ていたかというと麻でした!ご存知の通り青森の冬はとても寒いです。そこで農村の女性たちは、保温と補強のために、麻の生地の要所に木綿で刺子を施していたそうです。そしてどうせやるならばキレイな模様にしたいと競って美しいこぎんを刺す為に努力したそうです。多様変化を見せる幾何学模様は一針一針丹念に刺し続ける北国の女性。家内はひろさきで、すっかり自分だけの“カワイイ”を見つける旅のようであった。
津軽そばをいただきました!(2/6)
そば粉からそばがきを作り、一晩水に入れて寝かせる。そば粉と小麦粉の代わりに大豆粉をつなぎに加え、そばかきも練りこんでそばを打つ。だしはいわしの焼き干しと昆布でとり、ゆでたそばを加えて出来上がり!
トッピングは細切りにした”のり”と”なると巻き”、ねぎだけというシンプルな津軽そば (¥573)
⇩ 名物 三忠食堂(黒沼さん)⇩
文化財がモダンなスタバのカフェに変身!(3/6)
国の有形文化財「旧第八師団長官舎」(市役所の隣り)の建物を活かしたスターバックスのカフェ。青森の伝統工芸を取り入れた店内にも何気なく、弘前こぎん刺しが飾ってありました。
ここの”根菜サンドイッチ”は、とにかくうまい!
お薦めです。
パワーがもらえそうな禅林街・寺町さんぽ!(4/6)
黒門をくぐると、厳かな街並みがひろがります。同じエリアに33もの曹洞宗の寺院が並ぶ全国でも珍しい街でパワーをいただきました。その中で長勝寺は弘前城主であった津軽家の菩提樹で築城の際に南西部の守り寺として鯵ヶ沢から移築されました。三問、梵鐘、霊廟、五百羅漢、本堂など一見の価値ありです。
ココロ揺さぶる津軽三味線生演奏にのめりこむ!(5/6)
津軽三味線奏者として知られる渋谷和生氏の店で、本人の生演奏を楽しみました。ステージと客席が近く、臨場感あふれるステージでお客さんと一緒に歌う津軽民謡の演奏もいい。津軽料理もおいしかったですよ。お薦めです。同じ旅行中の群馬や白馬の方々と和気あいあいと一緒に歌いまくる!
太宰治が青春を過ごしたゆかりの場所へ!(6/6)
藤田家が太宰治の母方の親戚にあたる関係から、太宰治は旧制弘前高校に在籍していた1927年4月~1930年3月にかけて下宿した。暮らしていた部屋や机がそのまま残され、学生時代のメモ書き、写真が残されている。建物も大正時代の建築を知るうえで貴重なものです。
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6/22 今も残る城下町の面影を残す緑ふる角館!
今も残る城下町の面影 角館!(1/2)
角館を開いたのは芦名(あしな)氏で、江戸時代のはじめ1620年(元和6年)のことでした。その後は佐竹北家の城下町として栄えました。玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい、まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所です。
町は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分されました。
・内 町-武家屋敷-
・田町武家屋敷
・外 町-商人町-
「丁」と「町」
角館の町内名には「表町下丁・上丁」や「東勝楽丁」等「丁」がついている所と、「岩瀬町」「下新町」等「町」がついている所があります。これは、武士の住んでいた町内名には「丁」が付き、商人町には「町」が付いているのです。地名に、数百年前の名残が残っているのも、角館の魅力の一つです。
初夏の彩に輝く秋田内陸鉄道での出会い!(2/2)
今日は奥羽線で弘前から鷹巣へ向かい、そこで秋田内陸鉄道に乗り換えた。車窓には四季折々に表情を変え秋田の里山の風景が広がる。約100年前に「鷹角線(ようかくせん)」が計画されたことに始まります。 日本の発展と人々の幸せを願い、沿線の鉱山で採掘される鉱石や物資、人々の夢や希望を運び、まちとまち、人と人の 想いをつないできました。 その車内で思いがけない出会いがありました。ネイティブアメリカンフルート奏者Mark Akixa(マークアキクサ)さんと。彼は3歳よりクラッシックピアノをはじめ、フルートや篠笛を経て、2000年よりネイティブアメリカンフルート奏者となりました。アメリカ北アリゾナ大学にて北米先住民の文化・歴史を学び、同時に白人文化の影響を最も受けていない部族と言われるホピ族をはじめとする先住民たちと交流し、ネイティブアメリカンフルートの製造術を習い、アメリカ在住時より演奏家としての活動を始めました。今度、7/13(金)宮城の山元町普門寺でコンサートが行われるので、ぜひともその音色を聴いてみたいと思う。約2時間半かけて内陸線の列車は、一つ一つ駅に停まりながら、山の奥へ奥へと入っていく。「この列車、どこまで奥に入っていくのだろう」と心配になるほど清流の源の山は、深い緑に包まれいました。今日の旅先での出会いに人生の上り・下り・スイッチバックを繰り返す人情を感じた次第です。
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6/23 戦国ロマンが薫る真田氏の信州上田を歩く!
中央には日本最長の千曲川(信濃川)が流れ、菅平高原や美ヶ原高原の雄大な自然に囲まれている上田市は、信州の政治と文化の中心として千二百年余の歴史が脈々と流れ続けるまちです。
そして、徳川の大軍を二度にわたって退けた智将・真田昌幸公や、大坂の陣での奮闘ぶりから日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と称えれた真田幸村公ら真田氏の歴史浪漫が薫るまちでもあります
真田氏の息吹を感じる上田城!(1/2)
天正11年、真田昌幸が築城した平城で別名「尼が淵城」。徳川の軍勢を2度にわたり撃退した歴戦の名城として知られています。現在は公園として整備されています。
関ヶ原の合戦後、真田昌幸公の長男・信之がここに居館を構えました。表門とその両脇に続く土塀、濠が今に残り、上田市の文化財にも指定されています。
見どころは真田石、上田城櫓、真田神社、真田井戸、西櫓です。
戦没画学生慰霊美術館「無言館」に涙ぐむ!(2/2)
少し小雨が降りだし、もやで煙っている森の中で「無言館」の無機質なコンクリートの美術館が存在感を示しながらその威容さを醸し出している。今日は長野の上田市にある戦没画学生慰霊美術館 無言館を訪れた。上田駅よりローカル線の上田電鉄別所線」(信州の鎌倉と呼ばれている)に乗り、塩田平駅よりバスに乗りかえる。バスを降りていくと、森の中へと入りこむような所にあり、作家水上勉の息子である窪島誠一郎氏が1997年にこの美術館を開いた。入口の扉を開けると思わず自然と涙がこぼれる。家内は受付の人と涙ながらに震えながら会話をしている。単なる観光気分、物見遊山の心境ではなく、あー来てよかったと。。。人としての感性がとぎすまされるような感覚を覚えた。窪島誠一郎氏曰く「遠い見知らぬ異国くにで死んだ画学生よ私はあなたを知らない知っているのはあなたが遺のこしたたった一枚の絵だあなたの絵は朱い血の色にそまっているがそれは人の身体を流れる血ではなくあなたが別れた祖国のあのふるさとの夕灼やけ色あなたの胸をそめている父や母の愛の色だどうか恨まないでほしいどうか咽なかないでほしい愚かな私たちがあなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に今ようやく五十年も経ってたどりついたことをどうか許してほしい五十年を生きた私たちのだれもがこれまで一度としてあなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ私はあなたを知らない知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だその絵に刻きざまれたかけがえのないあなたの生命の時間だけだ」。ちょっぴり感傷的な小さな旅であった。
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6/24 Jazzの横浜・リニューアルした東京駅!
みなとまち横浜でMRJと出会う!(1/2)
「日本人はコルトレーンが好きなのでしょう。マイルスなどと並んで特に人気があります」。横浜市内のレコード店主に、ジャズ界の巨匠でサックス奏者のジョン・コルトレーン(1926~67年)について尋ねたら、こんな答えが返ってきた。ちなみにマイルスとは、同じくジャズ界の巨匠マイルス・デイビス。そのコルトレーンが1963年にスタジオ収録された幻の音源が見つかっていたというのだ。店主は自称「Jazz研究家」は「絶頂期のレコーディングで素晴らしい演奏」と評価。音源を収めたアルバムが今月29日に世界同時発売されるという。自称「元ジャズファン」として、ぜひとも手に入れたいと思う。学生時代にジャズ喫茶に通ったが、もう一度腰を入れてコルトレーンを聴いてみようと思う。これからジャズ熱が再燃しそうで「青春時代を思い出したい」心境でもある。異国情緒あふれる”みなと町横浜”や東京が今回の小さな旅のしめくくりの場所である。特に横浜みなとみらい地区は横浜美術館や、国産飛行機MRJの生産をはじめた「三菱重工みなとみらい館」がある。行きたいところが目白押しだが、もう歩き回るほどの体力はもうなく、MRJにターゲットを定め、大空の翼を馳せる思いをMRJに託したいと思う。
緑のじゅうたんと石畳に映えるレンガ造りの東京駅!(2/2)
みなとまち横浜を後にして、帰りの新幹線までちょっと時間があるため、東京駅丸の内の広場に出てみると駅前工事もすっかり終了し、広々とした緑のジュウータンと敷石がレンガ造りの駅舎とマッチングし視覚的に歴史を感じさせてくれる。この場所は日本の首都東京の玄関口として、誇らしい気分にさせてくれる場所でもある。多少疲れもあるが、今回は歴史ロマンと五感を目覚めさせてくれたちいさな旅であった。
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おまけ
⇩ 最後に ⇩
体調も良く、今回のちいさな旅5は家内の要望を取り入れた中身の濃い旅でした。旅先での新たな出会いや新たな発見と、改めて旅の素晴らしさを満喫した旅行でした。多少疲れもありますが、頭と体を切り替えながら、ファーム作業をしながら次回の旅(永平寺・比叡山の山岳宗教)の計画を練り始めているところです。