■ 2018 小さな旅 6 ■
今回は本州最北端の地「下北半島」と太平洋の雄大な荒波が打ち寄せるダイナミックなリアス海岸を巡ります。刻一刻と変化していく海の表情を楽しんできました!!
◎8/26
●下北半島にある灯台と寒立馬でおなじみの”尻屋崎”、”霊場恐山”を訪れました。
◎8/27
●”本州最北の地であるマグロの大間崎”、”極楽浄土の仏ケ浦”、陸中海岸にある”海のアルプス”といわれている”北山崎”、”断層が幾重も重なる鵜の巣断崖”、”岬の形が熊の鼻ようぬな熊の鼻”を訪れました。
◎8/28
●釜石市鵜住居に新しくできた”釜石復興スタジアム(ラクビー)”そして”今年の3月に開校した”鵜住居小学校・釜石東中学校・児童館・幼稚園(建築設計)”を訪れました。
●南部曲り家そして河童民話の古里の遠野を訪れました。
8/26 下北半島
6:00 長町⇒泉IC⇒8:10岩手山SA⇒9:30下田百石IC⇒三沢⇒東通村⇒11:55下北半島尻屋崎⇒14:15恐山⇒16:00むつグランドホテル (走行距離497km)
岬めぐり(山本コウタロー)
(1) あなたがいつか 話してくれた
岬を僕は たずねて来た
二人で行くと 約束したが
今ではそれも かなわないこと
岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ
悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう
(2) 幸せそうな 人々たちと
岬を廻る ひとりで僕は
くだける波の あの激しさで
あなたをもっと 愛したかった
岬めぐりの バスは走る
僕はどうして 生きてゆこう
悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう
岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ
悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう
北に津軽海峡、東は太平洋に面し、海原に突き出した白亜の尻屋崎灯台がシンボルの岬。思わずフォークソングの「岬めぐり」の歌を口ずさみながら澄み切った青空が迎えてくれた。青々とした草原に凛と立つ灯台は、点灯から140年を超えたレンガ造りで、全国31基の「恋する灯台」にも認定された。小さな旅3で訪れた福島いわきにある「塩屋崎灯台」と姉妹灯台でもある。また、尻屋崎といえば「寒立馬」が有名である。風雪と粗食に耐え持久力に富む寒立馬は夏は海と灯台を背景に草を食べ、冬は厳寒の雪原で春を待っている。本来なら写真は冬が絵になると思うが、今の季節もなかなか絵になる風景であり、すっかり馬のファンになってしまいました。
そして日本三大霊場のひとつである「恐山」。身内のために小石を積み上げた石積みや輪廻転生の願いが込められた風車が点々としており、硫黄のにおいが荒涼とした地獄と緑やさしい極楽の世界に導くように漂っていました。
昼食は名物の「みそ貝焼き」を食べながらホタテの町ならではのおいしさを味わった。
走行距離が約500km(高速道路320km)との遠距離の強行軍ではあったが、今宵の宿「むつグランドホテル」で斗南温泉に浸り、地ビールで体と心を癒しながら、お天気に恵まれた楽しい一日を振り返った。この下北の地である斗南藩は、戊辰戦争に敗れ領地を没収された会津藩が明治2年(1869年)11月許された藩であり、翌年4月から旧藩士らが移住を開始したが、寒冷地の過酷な自然条件の中で苦しい生活を強いられた。その後、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で斗南県となり、さらに9月に青森県に編入され、わずか2年足らずで斗南藩は消滅した。この地は会津藩が開拓した地でもあり、感慨深いものであった。ホテルから見える夜景展望(アゲハ蝶)で有名な「釜臥山」を磐梯山と思い涙を流したという。旅先で出会った人も会津の方で戊辰戦争150年を記念して、先人の歴史の地を巡る旅をしており、その話を聞いていると、なおさら泣けてきました。
● 尻屋崎 ⇩ ⇩ ⇩
● 恐山 ⇩ ⇩ ⇩
● むつグランドホテル(ここの斗南温泉の泉質は最高で、昆布の中にいるようでした)⇩⇩⇩
8/27 本州最北端の大間崎・極楽浄土の仏ケ浦から三陸陸中海岸へ
8:20むつグランドホテル⇒9:30大間崎⇒11:10仏ケ浦⇒14:00横浜町⇒15:00下田百石IC⇒八戸⇒久慈⇒階上⇒北山崎⇒17:38休暇村 陸中宮古(走行距離397km)
「ここ本州最北端の地」と石に刻まれた石碑と大間のシンボル・マグロのオブジェが立っている。この先18kmに北海道が見えてくる。函館山、五稜郭等一面に広がる光景は見事であった。
その後、奇岩怪岩が約2kmも続き、極楽浄土を思わせる。白緑色の凝灰岩が長年の雨風と荒波に削られてできた自然の造形美である。
横浜町はホタテと菜の花で有名でホタテを使ったイタリアン料理は絶品であった。
下北半島を後にして、今度はリアス式海岸として知られる三陸海岸へと南下する。断崖絶壁が続き、海の北アルプスと称される北山崎。そして白い岩と松林の緑、さらに青い海とのコントランスが見事である。夕方には小雨も振り出してきた。部分的に開通している三陸自動車道を通り、田老の先にある休暇村 陸中宮古(昔の国民休暇村)にたどり着きました。宿のすぐそばにある姉ケ崎断崖、汐吹岩等があり、散策コースが整備されいました。朝7:00からガイドさんが散策コースを案内してくれるサービズもあり、風光明媚な景色と人にやさしい宿であった。
● 大間崎 ⇩ ⇩ ⇩
● 仏ケ浦 ⇩ ⇩ ⇩
● 休暇村 陸中宮古 ⇩ ⇩ ⇩
8/28 鵜住居の建築を見ながら南部曲り家と民話の世界の遠野へ
8:15宮古⇒9:35鵜住居復興スタジアム・鵜住居小学校・釜石東中⇒11:10遠野かっぱ淵、伝承館・ふるさと村⇒13:20遠野風の丘⇒14:35花巻IC⇒16:30 仙台南IC⇒16:50長町着(走行距離340KM)
2019年釜石でラグビーワールドカップが開催されることが決定し、復興スタジアム(ラクビー)は今年7月末に華々しくオープンいたしました。国道45号線の道路を挟んで対面には今年3月に開校した鵜住居小学校・釜石東中学校が小高い丘にそびえ建ち、釜石の復興のシンボルとして輝いておりました。建物を見ながら、釜石そして鵜住居地域の子供たちが夢と希望がもて、地域のシンボルとして誇れるような施設として歴史に残る建物になってほしいと思う。
その後、民話の里「遠野」に向かう。常堅寺裏手を流れる川の淵にいたずら者のカッパが住んでいたとされている。伝承園、遠野ふるさと村へ訪れ、昔の遠野の農村を再現した広い敷地内に田んぼやそば畑、水車小屋、南部曲り屋があり、自然とともに共生する遠野のかつての暮らしぶりが再現されていた。そして、「道の駅 みやもり」傍にあるJR釜石線のアーチ橋である「めがね橋」。ライトアップされた橋は宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」の幻想的な雰囲気を醸し出しているようであった。昼食は岩手ならではの「ひっつめ定食」をいただき、すっかり田舎気分に浸りながら、のどかな田園風景を走り抜けました。
★ 鵜住居小学校・釜石東中学校・鵜住居幼稚園・鵜住居児童館 設計ポイント ⇩
東日本大震災で被災した鵜住居小学校、釜石東中学校と付属する鵜住居児童館、鵜住居幼稚園の全面復旧計画である。敷地は岩手県釜石市、大槌湾に面する鵜住居地区。2013年6月に行われた公開プロポーザルでは、「街の復興のシンボル」となることが求められた。ここで我々が目指したものは「風景に溶け込みながらも埋没することの無い力強い存在」である。提案は、海抜18mの「階段棟」と、海抜26mの「ブリッジ棟」、それらをつなぐ「大階段」によって構成される。「ブリッジ棟」は、既存の山の風景を継承するよう最小限の切土によって造られる盤の上に、沢をまたぎ宙に浮くように配置されている。その手前の「階段棟」の間を、屋外の大階段が貫いている。大階段は学校から鵜住居駅を結ぶ軸線上に位置し、子供たちの登下校する風景が街から視覚化される。ブリッジ棟のバルコニーからは復興していく街全体を望むことができる。子どもたちは、小学校の低学年から中学校まで徐々に上層へと移動することで、自らの成長を感じ取ることが出来るだろう。東日本大震災と、それに続く復興のプロセスに関ってきた経験は、改めて土地と建築の関係を我々建築家に問うている。ただ用意された敷地の中だけでの建築を考えるのではなく、自然の猛威の後、ゼロから土地を作り上げていく必要のある場所においてどのような振る舞いが出来るか。提案したこれら全ての手立ては、建築設計のみではなく、土木と建築を一体化をすることで可能となった。(シーラカンス&アソシエイツ建築事務所)
● 鵜住居小学校・釜石東中学校・鵜住居幼稚園・鵜住居児童館 ⇩ ⇩ ⇩
● 鵜住居復興スタジアム ⇩ ⇩ ⇩
● 遠野 カッパ淵 ⇩ ⇩ ⇩
● ふるさと村・伝承園 ⇩ ⇩ ⇩
● めがね橋 ⇩ ⇩ ⇩
終わりに
2泊3日、走行距離1232㎞、高速道路「北東北周遊乗り放題プラン3日間(\8500)」を利用し、みちのく絶景ドライブを楽しんできました。愛車スイフトも燃費21㎞/リットルとすこぶる良く、北東北の道路は通行量も少なく空いており、余裕をもってドライブすることができました。でも年齢には勝てず、帰宅後、久しぶりの長距離運転で緊張感から解放され肩こりの症状がでてきましたが、すこぶる元気です。早めの出発・帰着を心がけ、なにより温泉が最高でした。疲れをとるにはやっぱり温泉に限りますね。今回の旅で一番良かったのは、何と言っても尻屋崎です。白亜の灯台と青い空に寒立馬のコントラストが最高でした。そして大間崎へと続く海岸線は、まさにフォークソング「岬めぐり」の詩にあるような旅でした。