■ 2015 小さな旅 7 ■
2015.7.6 美術館てくてくツワーの旅と題して、秋田県立美術館、岩手県立美術館、そして青森のゴッホと言われている棟方志功記念館を訪問しました。まさしく美術館は想像力の山を登り、海を駆け抜けるようである。
1. 7/6ピンク色のハスが咲き誇る秋田県立美術館へ
青々とした水の中にまず一輪そっと咲く。辺りの様子をうかがって仲間を呼ぶのだろうか。秋田千秋公園ではハスの花が咲きはじめ、日ごとにピンク色味を帯びている。秋田県立美術館を訪れた。平野政吉コレクションと題して、藤田嗣治氏の「秋田行事」の大壁画がすぐさま目に飛び込んでくる。そして特別展として「田園にてー秋田の風景・子供・女たちー」と題して木村伊兵衛、千葉禎介、勝平得之等の写真、版画が所狭しと並んでいる。昔ながらの農民の息遣いが聞こえてくるような農村風景が広がり、田園の空気が漂う。千秋公園を散策後、午後からは新幹線に乗り、盛岡へと向かった。
2. 7/6雫石川沿いにある岩手県立美術館を訪ねて
岩手県立美術館ではフランスの画家ゴーギャン展が開催されている。19世紀の画家ゴーギャンをはじめとする画家たちを魅了したフランス、ブルターニャ半島の小島、ポン=タバンの美しい自然風景や風俗が描写されており、なかなか拝見できない貴重な油絵が展示され、その迫力に思わず2時間近くも見入ってしまった。ゴーギャンは故郷のフランスよりも素朴で単純な生活を求めて1891年にタヒチに渡った。タヒチ滞在時代の1897年から1898年に描き上げたこの作品は、高度に独自の様式化された神話の世界を描いた他の作品と同様にゴーギャンの代表作とされており、もっともゴーギャンの精神世界を描き出している作品と言われている。現在この作品が所蔵されているボストン美術館のキュレーターは、この絵画の所有者の記録を更新し続けており、これは来歴がまだ完全なものではないことを意味する。最初の記録として、1898年にゴーギャンはこの絵画をフランス人画家・美術収集家ジョルジュ=ダニエル・ド・モンフレェ(en)に送っているのが確認されている。その後何人かのパリやヨーロッパの画商、収集家の手に渡り、1936年にニューヨークのマリー・ハリマン・ギャラリーが入手した。ボストン美術館がこの絵画をマリー・ハリマン・ギャラリーから購入したのは1936年4月16日のことである。この作品はシカゴ美術館で開催された「セザンヌからピカソまで」という展覧会で、2007年2月17日から5月12日まで展示され、それ以来もと通りボストン美術館に展示されている。
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか
そのほか常設展として岩手出身の松本俊介・舟越保武氏の生命力に溢れ、鮮やかな色面と大胆な構図が表情豊かに描かれている。美術館はなぜか建物のデザインも素敵で、人を異次元の別世界の空間に誘い込んでくれるような気がする。まさに今日一日の美術館巡りの旅は、人間のもつ創造・想像力を内面から湧き出させてくれるような魔物のような不気味な魅力を漂させてくれるひとときを与えてくれた。
3. 7/4青森のゴッホ”棟方志功記念館”を訪ねて
青森市内の循環バスねぶたん号(\200)に乗り、棟方志功記念館で仏の国インドでの仏教との出会いの旅を思い出す。パートナーは津軽こぎん刺しに夢中で、こぎん研究会の手習いを通して、二人とも益々青森が好きになってきた。棟方志功は明治36年9月5日、青森市で代々鍛冶職を営んできた父棟方幸吉・母さだの三男として生まれました。同43年4月に長嶋尋常小学校に入学し、3年生の頃から凧絵に興味を持ち、級友にかいてあげていました。6年生の頃、田んぼに不時着した飛行機を見にみんなと走っていたところ、小川の所で転び、そばに白い花(おもだかという水草)を見つけて、その美しさにひどく感激してしまいました。小学校を卒業する頃から兄と一緒に実家の手伝いをしていましたが、17才の時に裁判所の弁護士控所に給仕として雇われ、仕事のない日や、早朝に合浦公園へ出かけて写生をし、絵の勉強をしました。小野忠明先生から、ゴッホのヒマワリの複製をいただき、深い感銘をうけたのもその頃です。又、絵の仲間達と会を作り、展覧会を開き、後に東奥日報社の編集長になった竹内俊吉氏(元青森知事)から高い評価を受けたこともあって、絵かきになる決意を一層堅くしました。棟方の郷土を愛する心は人一倍強く、凧絵やねぶたは勿論のこと、風物に対しても大変心をよせていました。また青森市の合浦公園には、少年達を励ますために「清く高く美事に希望の大世界を進み抜く」という言葉を刻んだ記念の石碑が建てられています。青森市では、昭和44年2月17日、青森市名誉市民第1号の称号を贈りました。同45年11月には青森県人としてはじめて文化勲章を受章しました。昭和50年9月13日東京都において72年の生がいを閉じました。お墓は、青森市三内霊園にゴッホの墓と同じ形につくられ、静眠碑(「ひ」という漢字を棟方は、石へんから玉へんに変えて命名しています)と名づけられています。