■ 2021 小さな旅2 ■
2/25~26 鳴子温泉へ療養の旅
術後療養及び気分転換を兼ねて、鳴子温泉方面へ出かけました。
今回ルートは
●2/25:仙台⇒岩出山 有備館 ⇒昼食 喬壽庵(きょうじゅあん:究極の寒晒蕎麦)⇒ 鳴子温泉 亀屋ホテル(黒湯)¥8000(お得です!)
●2/26:鳴子温泉⇒尾花沢⇒東根(寄ってけポポラ)⇒ 昼食 山形の極上蕎麦(寿ゞ喜総本店 (すずきそうほんてん))⇒帰路
●合計約300㎞走破
岩出山 有備館へ
伊達政宗は永禄10(1567)年に米沢城で生まれ、天正19(1591)年に豊臣秀吉の奥州再仕置により米沢から岩手沢(岩出山)に本拠を移すことになり、秀吉の命により東北に来ていた徳川家康によって修復された岩手沢城を政宗が居城としました。政宗は岩手沢に入るとこの地を「岩出山」と改め、仙台城に移る慶長8(1603)年までの12年間本拠としました。この時期は、朝鮮出兵や京都での暮らしが長く岩出山で政務を行ったのはわずかな期間でしたが、その後の仙台藩へと続く基礎固めがされた時期でもありました。関ヶ原の戦いの後、家康より新たな領地を与えられ仙台に城を築き、岩出山城は四男宗泰(家格一門、知行高1万4600石余)に与えられ岩出山伊達家が誕生しました。
「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。
明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家のご厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。
喬壽庵(寒晒し蕎麦の極上品)
川渡温泉街から山の方へ少し進んだ自然に囲まれた山あいに建つ一軒家の
本格手打そば屋です。
石臼挽きの二八そばの、のど越しの良さとかおりを味わえます。寒河江産蕎麦粉と月山の湧水に浸された寒晒し蕎麦は透明で甘みと蕎麦の香りが味わえ、極上の蕎麦でした。野鳥のさえずりをBGMに、薪ストーブの炎ぬ揺られながら打ちたてのそばをどうぞ。
亀屋ホテル(黒湯)
亀屋の温泉は、鳴子でも希少価値の高い泉質、通称「二見源泉」と呼ばれています。
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さて、二見温泉とは… 鳴子温泉、国内にある11種類の泉質のうち9種類を楽しめます。その中でも、亀屋の「二見源泉」は、温泉ファン必須の地域でも珍しい源泉なのです。黒褐色の色とちょっと独自の香りのする温泉で皮膚をつるつるにする効果があります。お肌の弱い方は保温材などのケアもお忘れなく。
まだまだ雪深い山形(尾花沢市⇒東根市⇒山形市)を南下
山形の蕎麦に挑戦(寿ゞ喜総本店 (すずきそうほんてん)
山形と言えば蕎麦どころ。ごわごわして、太さもバラバラな男っぽい田舎蕎麦を連想させられます。
鈴木総本店。そうざそばなるものがウリだそうです。このそうざそばというのは、メニューには出てこない、いわゆるこの店のブランドのようです。創業者の名前が鈴木惣左右衛門(感じが誤ってるかもしれません)、その方の名をとって、そうざそばと言うそうです。
店内、広々としています。お奨めは大名蕎麦なり。
主役のそば。ちょっと厚めで形は揃っています。厚 めの分もあるのか、歯応えというかこしが弾力があって噛みごたえがあります。ぼそぼそ切れやすい田舎蕎麦を想像していたので驚きました。
山形にも今風のそば打ち名人がいるんだ、と感心させられました。
所感
最近は術後の影響と加齢に伴う体力低下によるかもしれないが、体調がイマイチである。今回思い切って小さな旅を兼ねて温泉にでも行ってリフレッシュしようと思い、車で出かけてみました。日本海の秋田・山形側は今年は雪が多く、道路沿いは雪の壁の連続でした。今回の鳴子温泉の亀屋ホテルは初めてであり、温泉は黒っぽい泉質だが暖まるお湯で、本当にほっこりできました。コロナ禍の中でお客さんも10組程度しかおらず、お風呂はほとんど貸し切り風呂みたいな様相でした。やっぱり温泉はいいですね。。。。もうこの年になると多くの食事は望まなく、とにかくお風呂で長い時間、部屋でゆっくりできるのがいいですね、、、そして今回訪れた蕎麦屋は感激するほどおいしい蕎麦屋(
喬壽庵(寒晒し蕎麦の極上品)でした。皆様もぜひとも足を運んでみてください。