「里山の四季」(春)
春 (3月~5月)
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■■■ 春 ■■■ /Spring/Satoyama
Spring/ 水がぬるんだ田園には、小さな春がいっぱいこぼれている。
Spring/ 枯れた芝の中から顔を出したフキノトウやオオイヌノフグリ。
Spring/ みんな太陽に向かって手のひらをいっぱい広げている。
Spring/ そっとしゃがむと、土に匂いがしてきて暖かさが肌に伝わる。
Spring/ ミツバチが羽を震わせてお花畑の詩を歌っている。
Spring/ 里山の春は真っ先に土手にやってくる。
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□12.緑という色はたくさんあります(5/25)
我が家から見える森は、遠くから見ると霞がかったように、うすぼんやり見えます。なんだかシャーベットのようです。緑という色が驚くほどたくさんあるものだと、感嘆するのもこの季節です。色というものは光によってできているのだから、色は無限にあるはずです。人は言葉によってものを見、言葉によって匂いをかぎ、言葉によって音を感じ、言葉によって思考します。さまざまな自然色の中で、この季節ほど、緑のバリエーションを見せてくれる色はないと思う。野山をあでやかに彩る紅葉のシーズンにしても、これほどの色の無限大を感じることはない。淡い緑の中にヤマザクラの淡いピンクがしっくり溶け込み、春の森はほんわかと上品な京菓子のようです。
□11.春の野の山菜は薬である(5/18)
春は野の物を体に入れるといい。。。と昔からいう。野の緑の食べ物には野生の力が宿っている。野菜にはない野の滋養が山菜にはある。でもスーパの山菜は、すでにして野菜でしかないように思う。野バラやサルトリイバラにつかまりながら、人は自分で野に出向いて草や木の芽を摘まねばならない。本当の山菜はお金では買えない。山菜は食べ過ぎると体に毒だと、よく言われる。しかし、新鮮な山菜ならいくら食べても構わないと思う。食べ過ぎによくないのは、保存食としての山菜ではなかろうか。我が家はもったいない精神で保存食をつくるが、山菜の保存食は作らない。山菜はすべて旬のものを食べて終わりにする。
□10.新緑に思いを馳せる(5/13)□
我が家から望む山々の新緑が量感を増している。マレーシアやインドネシアで現地調査したNGOの職員に話を聞いたことがあるが熱帯雨林を奥へと進むと、ぱっと空が開けたそうだ。地面はむき出し。多様な生態系も先住民族の伝統的な暮らしも根こそぎ奪われていると。森は本来、適切に切れば再生可能な資源だ。だが、持続可能な森林経営がされている熱帯雨林は1割に満たない。世界で毎年、日本の半分に相当する森が消えていると言われる。一方の日本は切れぬ悩みを抱える。国土の66%を占める森は年々増える。木材利用ポイント制度など多様な試みで国産材利用を促してはいるが、まだ消費の7割以上が輸入材だ。身近な山々の厚い緑に荒廃の現状を読み取りたい。同時に遠い国の緑にも思いをはせたい。どちらも私たちの暮らしと深くかかわっている森林と大事に付き合っていきたい。
□9.田起こし.畦づくり.農家の春は大忙し(5/5)□
春ののどかさに包まれたお彼岸の頃からあちらこちらで田起こしが始まります。冬の間、雪に覆われて縮こまっていた土はトラクタで混ぜ返され、空気をたっぷり含んでふっくらと盛り上がり、春の陽に当たり乾いていきます。そして4月にはいると水路掃除(堀起こし)が始まります。冬の間にたまった泥やはこびった草もスコップで掘り起こされ水路が開かれます。上流の山から下ってきた清らかな川の水が、田んぼのどうどうと音をたてて流れ込み、徐々にうねも土こぶも飲み込んで、田は静かに水に満たされていきます。土の匂いのする風が水面を通り過ぎて聞こえてくるのももうすぐです。
□8.棚田に春の訪れ(4/27)□
水がぬるみ始めた田園には、小さな春がいっぱいこぼれている。枯れた芝の中から顔を出した、フキノトウやレンゲ等、みんな太陽に向かって手のひらをいっぱいに開いている。そっとしゃがむと、土の匂いがして暖かさが肌に伝わる。ミツバチが羽をふるわせてお花畑の詩を歌っている。里山の春は、まっさきに土手にやってくる。この田もじきに水を満々とたたえた水田へ一変する。人間が作り出す冬から春への大きな景色の変化に惹きつけられて、多くの生命がここに集まってくる季節となった。
□7. 太陽が微笑みだしたかな?(4/20)□
雪が解けだしてひとたび草が芽を吹き始めると、あたりはものすごいスピードで緑に変わる。1~2週間前は雪混じりの地面には命のかけらさえ感じられなかったのに、今地面はこうしてみじみずしい緑に覆われている。この劇的な変化がたまらない。雪の下で身を縮めて冬を過ごした木々や草花は、ためていた力を一気に爆発させている。太陽が微笑み始め、桜の満開を迎える北国にもやっと遅い春がきた。薄紅色の桜並木をながめるたびに、この地で迎える躍る心の叫びを感じる。ちょうど癌手術より半年を迎え、完全復調とは言えないが、太陽の微笑み・大地との語らいを通してパートナーと共に生きる喜びをかみしめている。
□6.やっぱり春ですね!(4/15)□
春、四月、麗、桜満開、新緑膨らむ。連日、春模様をニュースで伝えている。しかし、この山里にピンク色の山桜の花が咲くのは五月になってから。今年は長かった冬もやっと終わったが、本当の春がくるのは連休頃ではないだろうか。でもやっぱり春ですね! シジュウカラ、ヒガラが鳴いている。そしてホトトギスも恋しながら鳴いている。山菜をはじめとした春野菜ももう少しで。。緑が恋しい季節に本物の深いグリーンが現れる。季節の旬の野菜を堪能してほしい。
□5. 春と冬の繰り返し(4/8)□
暖かい日が続いたと思うと、雨やら雪花が舞う日々が交互に繰り返す。でも山も森の色もみずみずしく見えるようになった。日脚が延びて、日没が遅くなって、夜明けが早くなり、光が濃くなったような気がする。シジュウカラが巣箱に出入りする光景を見かける。仙台では4/7に桜の開花宣言が出た。川崎町の桜のつぼみもほんのりと赤く膨らみ始めた。もうすぐ春と思いながら、強い蔵王おろしの西風が吹き付け、寒さが肌にさすような冬の冷たさの中にもほんのり暖かい春風も時折、そよいでいる。春と冬を繰り返しながら新緑の季節が巡ってくるのだろう。
□4.雑木林の春の競演(3/30)□
春の雑木林は秘密の花園です。薄紫のイカリソウ、スミレの紫や白、白いニリンソウ。。。まるでお雛様がお化粧しているようである。こうした雑木林は大量の水を蓄えている。雨水を染み込ませて水を蓄えるのは森の土です。それも落ち葉の下の腐葉土に秘密が隠されています。この土は落ち葉が微生物に分解されてできた有機物と土が入り乱れ、この隙間に水は染み込むのです。大量にストックされた天水はゆっくりと深層に染み込んでいき、土中を通過する間に濾過され、ミネラルをたっぷり含んだ生命の水となり川へ流れ込みます。こうした土壌こそが花園の源なのです。
□3.春の心地よい陽射しに誘われて(3/24)□
雪の中の花祭りと題してクリスマスローズ展が開催されている。今年は冬が長く雪も多かったが、やっと春がきたかと思うようにまぶしい陽射しが注ぎはじめた。春の散歩の楽しみは何といっても野の花探しにつきる。ふきのとうが雪の中から蕾を覗かせると、もう落ち着かない。今日こそはイチゲが咲いているだろうか、もしかすると福寿草。。。とついつい歩きはじめる。雑木林の中で花を見つけた瞬間そして日陰の中に春を歓ぶ花たちの声が聞こえてきそうな発見がもうすぐである。春の花園の独特の雰囲気がこたえられない。
□2.回帰する季節そして時空(3/15)□
春になると、私は春が還ってくると表現している。一年が過ぎたのではなく、昨年と同じ春が還ってきたのである。そして春が還ってきたとき、農の季節も還り、森が芽吹くときも還ってくる。鳥が巣をつくり、川では魚が跳ねる季節が還ってくる。里山では時間は過ぎ去るものではなく、大きな円を描きながら、いつか還ってくるものである。自然の時間が還ってくるように、人々の暮らしもたえず繰り返されながら、時間が回帰するようにつくられていた。それはすべてのものが回帰しながら、蓄積されていく世界でもある。
□1.流れる四季の移ろいの中で(3/8)□
四季の移ろいの中で春の花の香りに酔い、夏の草のにおいに暑さを感じ、色づいた秋の植物に郷愁をいだき、冬のしんしんと冷え込んだ寒さと氷の結晶に凛として、宝石を着飾る冬景色。身の周りから沸き立つように巡ってくる季節感はなくてはならぬ日本の宝である。季節の移り変わりは流れるようにやってくる。きめ細やかな自然の変化は小川の流れのようにとぎれることなくやってくる。もう少しで、田んぼの水面が光る春がやってくる。