「人生フルーツある建築家と 雑木林のものがたり」
出会いが多く生まれる季節だ。素顔の自分を知ってほしいと思う一方、自分がどんな「キャラ」に見られるか、気をもむ人もいるだろうか。人だけでなく、動物も植物も特定のイメージで語られることは多い。だが安易なレッテル貼りは、多様な持ち味への柔軟な想像力を奪いもする。桜だよりが連日届く。春を染める花が持つイメージは、考えてみればとても多様だ。華やぎ、はかなさ、潔さ、清楚(せいそ)、妖艶(ようえん)、門出、死…。女性的であり男性的でもある。そんな「キャラ」の豊かさが無二の魅力となり、古来日本人の心をつかんできた。とかく礼賛されるソメイヨシノも、宮沢賢治は「何だか蛙(かえる)の卵のような気がする」と表した。嗜好(しこう)や相性は人により、さまざま。唯一本当の「あなた」も、偽りの「わたし」もない。桜に酔ったせいか、そんなことを考えてみた。法事を終えた後、急いで楽しみにしていた映画『人生フルーツ』に出かけた。ある老夫婦のゆったりとした暮らしぶりを静かに見つめた素晴らしい作品だが、こういうにじみ出るような味わいは、そう簡単に作り出せるものではない。描かれたご夫婦は終始穏やかな笑みをたたえ、にこやかだが、どうもそれだけではないように感じる。ただの好人物であるはずがない、もっと激しいものがあるはずと思ってしまう。ご夫婦の暮らし方には僕たちのヤワな暮らし方を厳しく批評するようなところがあり、私の神経はそれにおびえたのだ。
場所は名古屋の郊外、高蔵寺ニュータウンの一角。300坪の土地に畑と手作りの雑木林を作って40年、自然の力を友として暮らしてきた。夫の修一さんは90才、建築家である。妻・英子さんは87才、お料理の得意な主婦だが、畑仕事も機織りもする。残念ながら、修一さんは2015年6月、英子さんは2018年8月にお亡くなりになった。そしてナレーターの樹木希林さんも。。。何事にもゆっくりと時間をかけて、いかにも丁寧に生きている。二人とも穏やかな笑みをたたえて、激することなく、仲良く、いたわり合い、満たし合って生活している。修一さんが番組の中で、「彼女は生涯で最高のガールフレンド」と語るシーンがある。私にとって衝撃的なセリフだ。自分は老妻のことをそう語れるだろうか。そう語れる日が来るだろうか、と。 自然に逆らうことなく、自然の実りを享受して、あらゆる過剰を避け、穏やかに生きる。二人の姿はそう見えた。そのことに胸を打たれた。愛知県春日井市にある高蔵寺の大団地を望む一角、数軒の住宅に交じって、『人生フルーツ』の家は建っていた。想像していた通り、ユニークな家だ。木造平屋、玄関はなく、庭からいきなり居間に入る。30畳の広いワン・ルーム。食卓もベッドも見える。光の入る高窓、天井はなく、家のがっしりした躯体が露出している。修一さんの師であった建築家アントニン・レーモンドの旧宅を模した建物だという。強烈な個性。圧倒されるような主張の強さ。一隅に1㎥はあろうかと思われる二階建てのドールハウスがあった。覆いを開けると、細かい家具、調度がぎっしりとしつらえられている。丹念な縮尺、細工、彩色。費やされた気の遠くなるような時間。修一さんがお孫さんのはなこさんのために作ったものだという。これはこの家の主の何を示すものなのか。単に孫への愛情といえば説明のつくものだろうか。
しばしば登場する畑。年間100種類の作物を生み出す英子さんのキッチン・ガーデンだ。肉や魚以外はここで作ったもので賄う生活をしてきたという。冒頭の「風が吹けば枯れ葉が落ちる~」は、この畑のための堆肥づくりのことだ。 畑に続く雑木林。里山の復活は修一さんが提唱し続けたものだ。雑木林で不思議なものを見た。ナラやクヌギの幹に括りつけられた人名を記した木札である。修一さんは、人の冠婚葬祭に一切出席しなかった。その代わりかどうか、故人の名札を樹木に下げるようになった。名札の日付は故人の命日である、と。 畑も雑木林も少し荒れている。手入れが行き届かない。今は主はもういない。しかし、修一さんの強烈な個性は生き続けている。生き続けてこの家に満ち満ちている。それは番組に登場する温顔の好々爺の修一さんではない。もっとわがままな才能、強烈に自己主張する個性。建築に関する哲学の実践。英子さんはその哲学に優しく寄り添ったガールフレンドなのではないか。
映画会場では川崎に住む地域起こし隊のメンバーのYさん家族、我が家を世話してくれた不動産のSさんと偶然にもお会いした。何か縁を感じる。親しい人と戯れているのは楽かもしれないが、自然と自分の生き方を共鳴しながら手触りの感じられる生活の良さを改めて感じた次第である。涙が止まらなかった日でもあった。